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摂食障害やひきこもりのお母さんへ:与え過ぎない手助けとは

お子さんの力を信じよう

心優しい勇者たちへ

 

 

 

 

摂食障害や

ひきこもりに悩む方々と共に

明るい未来を目指す

森山華伊です。

 

 

 

 

 

あなたはここ何年も・・・

 

 

 

安心した日常がどんなだったか

遠く霞んでしまうほど・・・

 

 

 

不安の毎日が

当たり前になってしまった

かもしれません。

 

 

気持ちの浮き沈みの激しさから

心身の不調を感じる。

 

 

何かをやり始めても

長く続けられない。

 

 

目先のことを

片付けることで精一杯。

 

 

その先のことを考える

ゆとりがない。

 

・・・そんな方も

おられるでしょう。

 

 

 

摂食障害やひきこもりの

お子さんに対して、

 

 

「本当に良くなるのだろうか」

 

「どうしたら変わってくれるのだろう」

 

「ああ言えばこう言うといった具合で、

話がいつまでも平行線」

 

「まるで悩むために、

自ら悩みを作っているかのよう」

 

 

 

・・・こんなふうに、

お子さんのことで苛立ちや焦り、

共感したくてもできない疲労感・・・

 

 

色々な感情が混ざり合い、

モヤモヤ、イライラが

おさまらない日々を

過ごしている方も

おられることでしょう。

 

 

 

お子さんについての

悩みだけでなく・・・

 

 

夫婦関係、親御さんの介護、

健康や仕事、経済面、

そして、

自分たち夫婦の老後のこと・・・

 

 

 

これらが複合的に絡まり合い、

心配のあまり、

心身共に息つく暇もない。

 

 

いつしか、笑顔もどこかに

置いてきてしまったことに

はたと気付く。

 

 

 

今回は、そんなあなたのために

「与え過ぎない手助け」

についてお話したいと思います!

 

 

 

 

与えるだけの愛

 

 

私の知り合いに・・・

 

受容、共感、

無条件の愛が足りなかったと、

相談した先でこっぴどく

決めつけられ・・・

 

 

本やネットで解決策を探せば、

「毒親」と一括りにされたかのように感じ、

目の前は真っ暗闇・・・

 

 

切り取った部分だけで

世間から烙印を押され、

自分の子育てを

全否定されたと感じている・・・

 

そんなお母さん( A 子さん)がいました。

 

 

 

もう10年も子供のひきこもりに

悩んでいます。

 

 

 

家族そろって食卓を囲むことは

もう何年もありません。

 

 

自分の料理も

食べてくれません。

 

 

小さい時は素直で優しくて、

手のかからない良い子だったのに・・・

 

 

今は話しかけても無視され、

挨拶もしない、

視線を合わせることも、

互いの身体が向き合うこともない。

 

 

いつも不貞腐れていて、

何年も前から、

会話らしい会話もない。

 

 

何か問いかけても、

無言で頭を横に振るか

頷くしかしない。

 

 

声さえ出してくれない。

 

 

夫は、

「もういい加減にしろ!」

と、声を荒げたり、

物に当たってしまう。

 

家族がバラバラ・・・

 

 

 

「いつまで続くのだろう」

 

「このまま年を重ねていくだけで

何の意味があるのだろう」

 

 

 

期限のある苦しみなら、

我慢が効くこともあるかもしれませんが、

 

 

終わりの見えない苦しみと、

子供への負い目と、

世間から浴びせられる非難に、

A 子さん自身も

心が不安定になっていきました。

 

 

 

「どうせ助けを求めても

わかってもらえない」

 

 

「自分たち(家族)で

なんとかするしかない」

 

 

「とにかく、子供の言う通り、

願いを叶えてあげることが、

子供への罪滅ぼしだ」

 

 

「遅ればせながら、愛情をかければ、

そのうち、満たされて良くなるだろう」

 

 

「子供に自信をつけさせるためには、

全て受け入れて、

微笑みを絶やさず、

褒めて、褒めて、気分良くしてあげないと」

 

 

「何不自由なく生活できるよう、

身の回りの世話をして、

淋しくさせないように、

そばにいてあげなければ」

 

 

 

そう自分に言い聞かせて、

子供中心の生き方を選びました。

 

 

この A 子さんが導き出した方法、

「与えるだけの手助け」は、

はたして明るい未来に

繋がるでしょうか・・・

 

 

これは、

「本当の手助け」

と言えるでしょうか?

 

 

家族の一人が

無理をすることで成り立つ家庭は

幸せでしょうか?

 

 

 

息苦しい愛情

 

A 子さんのお子さん(B 子さん)は、

A 子さんをはじめとする自分を取り巻く

世間の価値観や常識、道徳、正義・・・

そういった外の「良し」とする基準に

疑問を抱いていました。

 

 

自分なりの答えを

見つけるために、

崩しては積み上げ、

また崩して積み上げ・・・

そうやって繰り返しながら

信じられるものを探していました。

 

 

人の言う正しさより、

自分の信じているもの、

心を動かすものを大切にしたかった。

 

 

失敗という経験もしたかった。

 

悩みながら解決していく自分の

力強さを感じてみたいと思った。

 

 

 

だけど、

その挑戦をする前に、

「心配」という名の下に、

A 子さんが先取りに走ります。

 

 

A 子さんは、

B 子さんのしようとする挑戦により

痛い思いをさせないように

B 子さんをかばってきました。

 

 

幼い頃から、

失敗をしながら

自分で解決していく体験が

できなかった B 子さんは・・・

 

 

自分を頼りなく感じて、

本来飛ぼうと思えば飛べるハードルも

飛ぼうとしなくなりました。

 

 

自分にはそんなことできないと、

はなから決めつけてしまったのです。

 

 

 

いつも守られている状態は、

本来の生きる力を

発揮する機会が失われているため、

B 子さんは生きている実感がありません。

 

 

それを確かめるかのように、

B 子さんは自分の身体を痛めつけることが

止められなくなりました。

 

 

そう、痛みが、 

B 子さんにとっての生きている証でした。

 

 

 

 

意図せずとも、

自分を弱い者扱いする A 子さんの存在が、

まとわりつくように息苦しかった。

 

 

その感覚は、

A 子さんがそばにいない時にも

いつも感じました。

 

 

 

 

B 子さんは、

ずっとこう思っていました・・・

 

 

「お母さんは私によって幸不幸が決まる」

 

「私はお母さんのすべて」

 

「私がいないと死んでしまう」

 

 

 

 

数年後に振り返ってわかったことですが・・・

 

B 子さんは、

問題を解決しないままでいることで、

A 子さんに自分の世話を焼かせ、

分離しないようにしていたのかもしれないと

ある時、思ったそうです。

 

それも、無意識にです。

 

 

このように、何の思惑のないまま

親子のセットが、

作られていることがあります。

 

 

お互いに無意識でしていることなので、

一見わかりにくい結びつきです。

 

 

それがいけないという話ではなくて、

そういう関係性があったりする

ということです。

 

 

誰かのせいではなく、

お互いのその時の反応が

そうさせたと私は考えます。

 

 

 

 

ちょうどいい手助け

 

 

A 子さんは意識していないにせよ、

子供中心の生き方を選びました。

 

 

選ばされたのではなく、

自分で選んだ。

 

 

ある時 A 子さんは、

そのことに愕然としました。

 

 

今までの対処法しか、

選択肢がなかったと

思い込んでいたのです。

 

 

他の選択肢もありながら、

それを自分が選んでいたなんて、

思いも寄らないことでした。

 

 

愛情と信じて与えていたことが、

娘の自立を妨げていたなんて、

認めがたいことでした。

 

 

すぐに不安定になる自分を心配して、

娘は大人へ成長することを

無意識で止めていたのかもしれない。

 

 

そうだとしたら、

娘ありきではなく、

自分が生き生きと、

楽しみながら生活ができれば、

娘は安心して私から

離れていけるかもしれない。

 

 

・・・そんなふうに、

A 子さんの意識が

変わり始めました。

 

 

 

これまで B 子さん中心だった生活から、

A 子さんの楽しみややりたいことに

優先順位を上げることを

日課にしていきました。

 

 

自分の食べたいものを料理したり

自分の好きなテレビ番組を見たり、

長らく封印していたトレッキングを

夫婦で楽しんだり、

意見や感情を少しずつ、

表に出していったり・・・

 

 

 

こうして、

B 子さんばかりに向けていた愛情を

A 子さん自身に向けることを

意識的に続けていくうちに・・・

 

 

体内からワクワクする躍動を

感じられるようになりました。

 

 

 

「気分がのびのびして

気持ちがいい!」

 

「娘がひきこもりでも、

楽しいって感じていいんだ!」

 

 

 

 

B 子さんはそんな A 子さんの変化に

心の緊張がほぐれていくのが

わかりました。

 

 

いつも監視されているように

感じていたのが・・・

 

身体の緊張もやわらいでいくのを

感じました。

 

 

押し殺していた声も、

一言、二言ですが、ボソッと、

絞り出すように発するようになりました。

 

 

 

A 子さんは少しずつ、

B 子さんとのちょうどいい距離感を

探っています。

 

 

 

植物も水をあげ過ぎると、

根腐れしてしまいます。

 

 

子供を弱い者扱いせず、

子供の生きる力を信じる。

 

 

信じられた子供は、

たくましい自分で

生きようとします。

 

 

 

なぜ与え過ぎが起きるのか?

 

 

子供を頼りなく感じるから、

してあげたくなるのですね。

 

 

 

 

あなたのお子さんは

どうでしょうか?

 

 

どこか強さを感じることは

ないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

この・・・

「与え過ぎない手助け」のように、

 

 

与えるだけではなく・・・

 

 

突き放すばかりでもなく・・・

 

 

ほったらかすだけでもない・・・

 

 

 

 

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を書いています。

 

 

 

************

 


本来の自分を取り戻し

喜び楽しむ日々を送られることを

いつも応援しています。

 


今日も生あるすべてに

ありがとうございます。

 

 

 

 

森山 華伊

 



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